※ご注意 HP用の再構成のため、アップした写真点数は本書より少なく、文章も
 少なく異なる部分があります。史跡住所等は、本書には記載されております。


 




国衆から大名へ
真田から上田へ本拠を移す 
上田城跡

 上田城は、真田昌幸が1583年(天正11年)に築城。昌幸と信繁が九度山へ蟄居してからは信之が城主として、松代に移封となる1622年(元和8年)まで、真田家が約40年間治めた。その後は、仙石氏が城主として入る。昌幸が二度にわたり徳川の大軍を撃退した城であることから「落ちない城」として、今では本丸跡にある真田神社が受験生に人気。( 中略 )
 上田城最大の特徴は、河岸段丘の地に、昌幸が築城したこと。城の南側にある芝生広場は、かつては尼ヶ淵と呼ばれて、千曲川から多くの水が流れ込んでいた場所。いわば天然の水堀。そこから見上げた段丘崖は石垣のような堅固さを誇る。


 
  本丸土塁の隅欠(すみおとし)。
鬼門除け
尼ヶ淵跡から見た
城南側の段丘崖 




真田信繁ファンなら
一度は入りたい
別所温泉「石湯」



 
 別所温泉には石湯、大湯、大師湯という3カ所の温泉施設がある。雰囲気は銭湯そのものだが、本物の温泉が楽しめて入浴料は、なんと150円というから驚き。( 中略 )
 真田信繁(幸村)が愛したといわれる温泉の石湯は、すべすべして、かなり気持ちがいい肌触り。別所温泉の泉質は、単純硫黄温泉。弱アルカリ性で、美肌効果がある。編集部が開店前の早朝撮影を終え石湯を出ると、既に10人弱のお客さんが並んでいたほど、地元でも大人気。
  石湯に入浴した時に見える風景 
別所温泉周辺には、北向観音、八角三重塔で有名な安楽寺など、歴史ある神社や寺が幾つも存在する。 






徳川軍を二度も
撃退した激戦地 神川

 真田家の名前を全国にとどろかせた第一次上田合戦、そして第二次上田合戦。両合戦とも神川付近は、徳川対真田の激戦地。( 中略 ) 神川河口付近では、神川合戦と書かれた観光用旗が幾つも風になびく。上田合戦で真田軍は、神川上流で堰を作り、徳川の敵軍勢が川を渡る時に一斉に水を放出し攻撃をした。そんなマンガのような出来事が本当にあったのかと半信半疑の方も多い。しかし…。  
( 本紙へつづく )







昌幸が徳川軍と対峙した地は、
現在はホタルの里


 1585年(天正13年8月)、真田昌幸は、丸子城で依田川を挟んで徳川軍の鳥居元忠らと、20日間ほど対峙を続けた。第一次上田合戦の「丸子表の戦い」。 現在の丸子城跡へは、丸子公園から入り「彩りの森公園」の散策路で登ることができる。二の郭跡には櫓が復元されていて、2階からの眺望が素晴らしい。徳川軍が陣を張った八重原方面も見える。
 




真田家に関わる3本の川の一つ
千曲川

 真田家は、3本の川と密接に関係がある。川沿いに上野で勢力を拡大した吾妻川、沼田城と名胡桃城の間を流れる利根川、上田と松代を結ぶ、この写真の千曲川。史跡ではないものの、真田家の歴史に度々出てくる千曲川は、要チェック。

 
 千曲川産の天然鮎の若鮎。
秋は子持ち鮎がでてくる