※ご注意 HP用の再構成のため、アップした写真点数は本書より少なく、文章も
 少なく異なる部分があります。史跡住所等は、本書には記載されております。

   





真田まつり
闇夜に閃光が走る!
銃声が鳴り響く!! 


 夏の夜、真田の郷に火縄銃の銃声が鳴り響く。真田祭りにて信州真田鉄砲隊(真田公園グラウンド)。
 真田祭りのフィナーレには約1千発の花火があがる。スポンサー名のアナウンス以外に、個人の出産祝いや家族への感謝のメッセージが流れたりもする。祭りには、地元の方の出店もあり、とくに「朝獲りトウモロコシ」が甘くて美味しいので、おすすめ。
   




 真田の郷
実際の地形と土地の高低差

 真田の郷には、北に松尾古城、すこし南に真田氏本城、真田氏館の跡が存在する。真田氏拠点跡3カ所は、徐々に平地へと近づいていく。一番低い位置の真田氏館からも、その下に広がる真田の領地を広く見渡せたと思われる。今でも、真田の郷は真田氏館跡が一番高い平地に存在し、そこから神川まで緩やかな長い下り坂が続く高低差となっている。上田方面から見たこの写真、砥石米山城を防御の壁にし、土地高低差や要所の配置から、郷全体が城砦だった。そして、郷全体が真田の痕跡ともいえる。本書では南の砥石米山城跡から、北の鳥居峠までを真田エリアとしてご紹介する。 



 
「砥石崩れ」を現代に再現!!
砥石米山城跡

 砥石米山城跡は、上田市街から向かうと真田エリアの入口ともいうべき位置に存在
する。そもそも「といし」という名は、砥石が取れることから名付けられた。今でも地元住民は、戸石ではなく砥石という文字を使う。
 1550年(天文19年)、北信濃の村上義清と甲斐の武田信玄がここ砥石城で合戦となった。武田軍は、1カ月以上も城を包囲する籠城戦だったので、村上軍が水も無く疲弊していると考えていた。しかしある時、武田軍が砥石城を見ると、村上軍が馬へ大量の水をかけていた。それを見て武田信玄は攻城を諦めて撤退しようとして、追い討ちを受け惨敗。世にいう「砥石崩れ」。実際には水が無かった村上軍の村上義清が、米を馬にかけさせて、ひと芝居をうったといわれている。 この逸話を再現したのが、砥石・米山城まつりでの「白米伝説」(毎年11月3日)。(下の「砥石」写真提供:砥石伊の会)


 祭りの日には、登山の受付を済ますとスタンプカードが手に入る。5年連続で登城しスタンプを押されると賞状が貰える!!
 祭り当日は、信州馬肉うどん、くるみ団子等の地元グルメの屋台が並ぶ。




砥石城跡
登城チャレンジ


 砥石城跡は標高788m、米山城跡は735mという高さで、ハイキング気分で登ることができる。ただ、靴は運動靴など歩きやすいモノがいい。 登山道はアップダウンはあるものの、雑草が生い茂って行く手を阻むということがないのでご安心を。櫓門口から砥石城跡まで登りで25分、砥石城跡から米山城跡までは20分の距離。砥石城跡から奥にある本城跡までは約10分、さらに奥の桝形城跡までは約5分かかる。全部まわろうとするならば、半日は用意しておくべき。山中は案内板が多く、非常に分かりやすい。
登山道の足元には、火山灰が地上や水中に堆積してできた岩石の凝灰岩が多く見られる。昔、こういった岩が刀や農耕器具の研磨剤となっていたのかもしれない。
砥石城本丸跡の南側へ立つと、上田城(矢印)が小さく見える。
双眼鏡を持参すると、さらに楽しめるかも
。   



真田信繁の隠し湯
角間温泉



 角間渓谷に1軒、岩屋館という温泉旅館がある。真田信繁の「隠し湯」といわれる角間温泉に入浴できる旅館。
 女将さんは「元々、角間という地名は隠れ間が訛ってカクマになった説があるんですよ」と聞く。昔から隠れた秘境だったようだ。館からは、渓谷の見所・絶壁がスグ近くなので、早めにチェックインして、ゆっくり散歩して温泉に浸かるなんていうのがオススメ。 露天風呂は周囲を渓谷に囲まれ、自然のままなので昔にタイムスリップした気分が味わえる。風呂の湯は2種類あり、空気に触れて鉄分が酸化して茶褐色になった温泉と角間渓谷の湧水を加温した無色透明の湯。茶褐色の湯は肌にしっとり染みつく感じ、透明の湯はサラサラした感じ。泉質比べをしながら入浴するのも楽しい。旅館内では、2種類の飲泉「真田の銘水」「養命泉」が飲める。養命泉は鉄分を多く含み古来より胃腸によいといわれている。