※ご注意 HP用の再構成のため、アップした写真点数は本書より少なく、文章も
 少なく異なる部分があります。史跡住所等は、本書には記載されております。

 




九度山って
どんなところ?


 九度山は、地名に山が付くが山の上というわけではない。平安時代、高野山の開祖である弘法大師空海の母が慈尊院に暮らしていて、月に9度、空海が高野山から会いに来ていたから、その地名がついたといわれる。九度山は和歌山県北部に位置する。( 中略 )
 九度山で居を構えたのが、真田庵付近。真田庵近くを流れる丹生川(にゅうかわ)は高野山富貴を源流として九度山町で紀の川に合流。その川から真田庵方面を眺めると、切り立った崖になっており、上田城尼ケ淵部分の城郭を思わせる。現在の真田庵より少し南に位置したという二人の館は、三方を川に囲まれ万一の外敵侵入を防いでいた…。
 
 善名称院真田庵(九度山)



丹生川。川から上の平地までは、かなりの高低差があり、川は城の堀、上の平地は曲輪の役目をなしたようにも見える。
 
慈尊院前(九度山)。秋、門前では多くの富有柿(ふゆうがき)が売られている。富有柿は、九度山特産の柿。甘みが強く、果肉が柔らかく大粒なのが特徴。




真田信繁の最後の城
大坂城


 1614年(慶長19年)、信繁は九度山を脱出して、徳川方との戦いに備え、豊臣方に味方すべく大坂城へ入城。 写真は大阪歴史博物館から見た大阪城の風景。本紙では、大阪城周辺のシティホテルや周辺から見た城景色を比較できるように、城夜景や見え方を掲載。大阪城ビュースポットをご紹介!!





真田丸跡を歩く1772歩

 真田丸跡は、ココだけという狭い範囲でなく広い範囲で定義されている。跡地は現在、マンションやビル、公園等の都会の風景に様変わりしている。本紙掲載の古地図には、お寺が3か所並ぶ部分がある。それを頼りに古地図と共に散歩してみてはいかがだろうか。本紙内に2ページで、大きく掲載している古地図「摂津真田丸」と合わせて、跡地をめぐると、さらに面白さが倍増。近年は、真田丸の中心的な地は、大阪明星学園の校庭辺りだったのではないかという説も出ている。 真田丸跡めぐりは、まず玉造駅から長堀通り(国道308号線)を西へ移動する。歩いていると…。 ( 本紙へつづく )




今は通天閣の影が
指さす茶臼山

 大坂夏の陣、信繁は人生最後の戦いで、本陣を茶臼山に構えた。茶臼山とその周辺は、通天閣展望台から、よく見える。展望台南側から午後に見ると、季節にもよるが通天閣の影が、茶臼山を指をさして教えてくれてるようにも見える。