※ご注意 HP用の再構成のため、アップした写真点数は本書より少なく、文章も
 少なく異なる部分があります。史跡住所等は、本書には記載されております。

 




小松姫(稲姫)が昌幸を
入れなかった沼田城



本誌掲載 マンガ「真田信繁の一生」より
 真田家の沼田城で、忘れてならないのが小松姫。関ケ原の合戦前の「犬伏の別れ」で、昌幸、信繁は、兄・信幸とは敵対関係となった。その犬伏から上田城の帰り道に沼田へ寄った昌幸、信繁親子。
 沼田城には信幸の留守を守る正室・小松姫(稲姫)。小松姫は主人のいない城に二人を入城させなかった。昌幸は「さすが猛将、本多忠勝の娘」と言ったともいわれる。
 ( 本紙へつづく )





城下町用水路と布積み石垣

 
 天桂寺本堂から真田信吉墓所へ向かう途中、かつての城下町用水路が流れている。護岸のため沼田城石垣と同様の「布積み」という工法が施されていた痕跡があるので、お見逃しなく。





北条征伐のキッカケとなった
真田の城 名胡桃城 

 
 名胡桃城址は、沼田城跡から約7km離れて17号線沿いにある。真田昌幸の沼田城攻略のための城だった。

名胡桃城址の「ささ郭」先端から東の方向を見た景色




豊臣秀吉の軍勢として
北条征伐に参戦


 信繁が上杉家の人質に送られていた時期に起きた第一次上田合戦。この合戦に信繁が参戦していた史実は無いが、ただ参戦していない史実も無い。松井田城の戦いになると、初めて名を残している。初陣としては、信繁は遅いデビューだったかもしれない。北条氏の名胡桃城侵攻で始まった、北条征伐に豊臣秀吉の軍勢として参戦。1589年(天正17年)、真田昌幸、信幸、信繁は、前田利家や上杉景勝らの大名と共に豊臣方の北国勢として、北条氏の領土を攻撃しながら、小田原城を目指した。碓氷峠を越え、最初に攻略した北条方の城が松井田城。松井田城の城主は、北条方の武将・大道寺政繁。 ( 本紙へつづく )

 



松井田城落城
仙姫の悲しい結末



 松井田城落城直前、大道寺政繁は家族達を城から逃がした。その中に、お仙という政繁の娘がいた。城を囲んでいた真田昌幸は知らぬふりをしたが、他の追手にお仙は捕まりそうになり、滝から身を投げたという伝説がある。それが、松井田城跡北側を流れる九十九川の上流の仙ヶ滝。松井田城跡からは県道33号線で北西方面に進む。仙ヶ滝は高さ15mの滝。流れる滝の裏には、石仏も祀られている。父の政繁は、その後、関東での進軍案内役をし、後に切腹を命じられた。お墓は松井田城跡南側の補陀寺にある。