※ご注意 HP用の再構成のため、アップした写真点数は本書より少なく、文章も
 少なく異なる部分があります。史跡住所等は、本書には記載されております。






145号線エリアについて


 本書では点線の範囲内を「145号線エリア」としてご紹介。
 国道145号線へ続く144号線と、145号線沿いではないものの近隣の小野上地域の情報を含めて掲載。
このエリアを電車でアクセスする場合は、渋川駅を始発するJR吾妻線が便利。
吾妻線は高山村だけは通っていないものの、小野上駅(渋川市)から嬬恋村大前駅まで走っている。




武田三堅城の一つと言われた
真田家の名城 岩櫃(いわびつ)城跡

 
  

 かつて岩櫃(いわびつ)城は、群馬県の東吾妻町にある標高802mの岩櫃山の東側中腹にあった。山の東側は山頂部分で岩肌が剥き出しとなっている。
 城は真田家にとって、上野攻略の拠点であり、その後は沼田と上田を結ぶ中間拠点とも呼ぶべき重要な城だった。城跡は、再開発によって壊されることもなく城の痕跡が多く残り、見所が多い史跡。登城するには、郷原駅側の赤岩登山道もあるが、城跡だけなら東側の群馬原町駅からの登山道がオススメ(※本書なかに掲載がある登城攻略MAPはこのコースです)。


岩櫃城想像図




岩櫃城跡の見所ポイント

 岩櫃城跡では、カモシカをよく見かけるという噂があり、編集部も期待して何度か登ったが残念ながら今だに一度も遭遇はしていない。城跡は岩櫃山登山コースの途中でもあるので、登山者も多い。ゆっくり城跡内を見学すると約1、2時間はかかる。 中城を過ぎた分岐点で、右に曲がると本丸へ続く登り道、直進すると碁盤の目曲輪、左に下りて行くと殿屋敷跡へと続く。城内へ一旦足を踏み入れると…。

※写真内数字は、本書掲載の登城攻略MAPの位置番号です





日本三大美人湯の一つ
川中温泉


 川中温泉は、そもそも鎌倉時代に川の中から湯煙が上がっていたことで発見された。真田昌幸、信繁の時代には旅館はないまでも、本人達も知っていたかもしれない! 住所は東吾妻町だが、場所はかなり長野原町寄り。温泉好きには有名な秘湯。源泉名は美人の湯、効能は冷え性、美肌効果。写真は、かど半旅館の露天風呂。

 




秋に行ったら
紅葉狩り 吾妻渓谷



 
渓谷パーキングそばの吾妻峡橋からの景色は絶景。さらに旧145号線沿いに上流へ歩くと吾妻川の幅が狭くなり岩壁が作る景勝地吾妻峡が! 紅葉時期は11月上旬〜下旬。



 




真田昌幸が
落とした尻高城
 


 尻高(しったか)城は、1574年(天正2年)に真田昌幸が落とした城。武田信玄は上野攻略祈願で落としたい城の一つとして尻高城の名をあげていた。この戦いで城主の尻高景家は討死し、その後、真田家が治めるようになった。尻高城は、近くの中山城同様、つねに武田家、北条家、上杉家の覇権争いの渦中にいた。 尻高城は、平地寄りにある平時に館として機能した「並木城」と非常時の山城を合わせた呼び名。並木城跡は145号線から横道へ入りスグだが、尻高城(山城)跡は奥まった場所に存在する。145号線から…。
( 本紙へつづく )






小野上温泉
オススメの飲泉



 真田昌幸や信繁、真田家にとって吾妻川は切っても切れない関係。信濃から鳥居峠を越えて始まる吾妻川に沿うようにして、真田家は上野吾妻地区で西から東へ勢力を徐々に拡大した。現在の小野上温泉そばにも吾妻川は流れ、美人の湯と呼ばれる温泉が有名。 日帰り温泉施設「さちのゆ」駐車場内には、無料飲泉所がある。ここの飲泉は飲み易く美味しい。 中之条町から吾妻川下流に位置する小野上(渋川市)は145号線沿いではないものの、145号線沿いの真田史跡めぐりには便利な場所。 
 

 145線は
真田の城跡と温泉の宝庫
 国道145号線沿いには、真田家に関連した城跡が多くある。そして、名湯もそれ以上に多く存在する。
【本書の145号線エリアで掲載している城跡名】
岩櫃城跡 中山城跡 尻高城跡 嵩山城跡 羽根尾城跡 丸岩城跡 長野原城跡 鎌原城跡
 並木城跡 どうぞ、本紙で城跡群をお楽しみ下さい!!